サーシャの『Outside』誌への寄稿が興味深かったので訳出してみた

ニッポンのフシギだと思っていたが…

以前から、日本では芸能人やスポーツ選手などが政治的な発言をすることに対する忌避感が非常に強いことが、とてもフシギであった。それは本邦における「芸能」というものの発祥と関わるのかも知れないし、あるいは日本人と政治との距離感の問題なのかもしれない。よくわからない。

一方、米国では、トランプタワーに駆けつけて抗議のアピールをしたレディ・ガガに見られるように、あるいは、逆の立場ではあるが、はっきりとトランプ支持を表明していたクリント・イーストウッドのように、芸能に関わる人が政治的な立場を表明することは、普通であるように見え、それは良いことであると思っていた。

アスリートにおいても、立場の別はともかく、それぞれの意見を述べているようだ。たとえば、選挙後の様子は、下記のような感じだ。

支持派も失望派も。米アスリートはトランプ大統領誕生をどう受け止めたか
(「@niftyニュース」より)

しかし、米国でも、必ずしも、だれでも何でも言える自由な空気だけではないらしい。

ぼろくそ言われるサーシャ先生

当ブログを読んでいる人なら、サーシャとだけ書けばわからない人はいないであろう。あのサーシャさんである。彼女が『Outside』誌に書いていた記事が興味深かった。

サーシャさんが「ヒラリー・クリントンを支持する」と公然と表明したことにより、ずいぶんとひどいことを言われている。もちろんそれに対して怒ってもいるが、アスリートとしてやるべきことは何かという話しをしている。

内容への賛否はあると思うが、まだ若い(24歳)のに、単に「人よりクライミングがうまいだけ」ではなく、このように自分の立場や、やるべきことを自覚してはっきり表明できるのは、素晴らしいことだと思う。

161206

If Athletes Are Mad About Trump, They Must Be Better Advocates
(「Outside」より)

英語の勉強がてら、訳出してみました

上記の記事を、英語の勉強がてら訳出してみた。
あくまで「勉強がてら」なので、間違えているところもあると思う。よくわからないところは適当に訳しているし、こなれた日本語にはしていない。なので、訳文自体の転載などは、ご遠慮ください。このエントリー自体へのリンクはもちろんかまいません。

また、訳出の間違いを指摘していただけますと、大変嬉しいです。

アスリートは、トランプについて怒っているなら、より良い代弁者(Advocates)となるべきです

プロアスリートは、ソーシャルメディアでフォローして下さる多くの人々に、これまでにないくらい直接的な影響力を持っています。今こそ、それを使い始めるときです。

By:サーシャ ディジュリアン 2016年11月29日

2016年の大統領選挙の日以降、私は私が考えていたことのすべてが雲散霧消してしまったように感じています。迷路の中で行き詰まっているような感じで、集中できません。悪党としか思えないドナルド・トランプがどうして勝利できのか、理解できません。人間への信頼があった身体の中心にいくつも穴が空いてしまいました。

私はまた、ミレニアム世代の37パーセントがトランプに投票したことにも、混乱しています。私はその世代の一員ですし、ショックを受けています。

最終投票の際、私がソーシャルメディアで、ヒラリー・クリントンを公然と支持したとき、次のようなコメントをたくさん受けました。
「岩の下で這いつくばってろ」「政治に口を出すな」そして「クライミングに集中してなよ、かわいこちゃん」。こういったコメントは、私がロッククライミングを超えて、世界に対して意識的であることへの攻撃であり、私たちの国に存在するミソジニー(※)の証拠です。
そういった意見が意味するのは、私の人生の唯一の目的が、岩壁を登ることであるべきだということです。それは違います。

プロのアスリートとして最高レベルでの結果を残すことが、私の仕事です。しかし、私たちのアスリートとしての仕事の一部は、スポーツの使節(ambassadors)として働くことです。すなわち、限界に挑戦し、私たちがしていることの価値を理解している人たちを勇気づけることです。すなわち、人々が限界を試すことや、私たちが行っていることの価値を理解してもらうことを促進することです。アスリートと有名人は、自分たちが持つ特権を、私たちがしていることをする機会を持たない人たちに分け与える市民的責任があります。そして今日、これまでのどんな時代よりも、その真価を発揮することが簡単になっています。

私には、ソーシャルディアを全部あわせて、50万人以上のフォロワーがいます。今までに一度も会ったことのないフォロワーの皆さんが私の人生に注目し、私が言うべきことを気にしているのだと気づいたとき、このプラットフォームが、私のやっているニッチなスポーツを超えた変化をもたらすために使えると知ったのです。単に岩壁にぶら下がる人々の写真を見せるだけでも、悪くはありません。しかし私は、自分の社会意識の程度と、自分が信じている主張への意識をまとめておく責任も感じます。ソーシャルメディアは考えを共有したり意見を形作るための触媒となりえます。気候変動や男女差(ジェンダーギャップ)、そして差別に反対してはっきり立場を表明することは、政治的なことではありません。それは論理的、かつ公正なことです。

旅行、スポーツ、そして娯楽は、あらゆる種類の推移と経験に入れるレンズを提供します。そして私が楽しんでいる広大な地平線と山岳風景は、私たちが個人としてはいかに小さな存在なのかを教えてくれます。けれども、また同時に、私たちは良くも悪くも、大きな影響力も持ちます。今月初めに、ロッキーマウンテン国立公園でクライミングをしている最中、私はタンクトップでいました。いつもだったら、ダウンジャケットを着なければならなかったのに。私たちが毎年感じる変化の証拠として、冠雪が減っていることも直接見ました。地球温暖化は本当のことです。

いま、自分たちの信念を伝えるグローバルな使節として、私たちが声を上げることは、これまでにないくらい重要になっています。それは私にとっては、スポーツプログラムにおける男女の機会均等を全国的に実現するために、また「Women’s Sports Foundation」の役員として、男女のアスリートの間にある言葉の不一致を変えることを実現するために働くことを意味します。また、スポーツを、世界中の子どもたちの生活を変える枠組みとして推進する「Right to Play」と「Up2Us」のグローバルな使節として働きます。

私たちは影響力を持つ者(インフルエンサー)として、自分が信じる主義を守るためにメディアを思いどおり使うことが、決定的に重要です。

私は、世界を変え、コミュニティ同士を結びつけるためにスポーツが持つ力を信じています。私は国連の女性たちと一緒に働き、advocacy outside of climbingの出版と会議によって気づかされました。給料、機会、保険、そして尊厳において男女平等を達成することは、私にとって非常に重要に感じることです。それに加えて、「American Alpine Club」や「the Access Fund」のような組織の代弁者として働いたことを誇りに思っています。社会を少しずつ変えるための方策を採ること、アウトドアでの倫理を実践すること、そして私たちの自然の遊び場に直接影響するような保護活動をすること。気候変動を緩和するための方策を採ること、野外活動の倫理を実践すること、そして保護を目指して働くことは、直接的に私たちの自然の遊び場をより良くする影響があります。

私たちの世界に問題があると単に認める代わりに、私たちは全員、それらの問題に立ち向かう責任を持つ必要があります。ソーシャルメディアはどんな問題も一手に解決することはないでしょう。しかし、意識を向上させることは進歩への大きな一歩です。もしあなたが何かについて広い見識を持っているなら、そのために利用して、もしあなたがなにかについて詳しい意見を持っているなら、そのために立ち上がり、私たちのグローバルコミュニティがもっと調和の取れたものになるように貢献してください。私たちは皆、力を出し合って、より多くの成果を得る力を持っています。私たちの大統領選挙当選した大統領を支持するかしないかに関わらず。私は受け身の傍観者でいることを拒否します。

(※)ミソジニー:女性や女らしさに対する蔑視、偏見、憎しみなどを表す言葉。「女は家庭にいるべき」というものミソジニーだし、「美人クライマー」といった類い(美醜を女性に対する最優先の評価基準とする)も、ミソジニーの一種と考えられる。
サーシャ自身、「美人クライマー」みたいなミソジニー的紹介をされることが多いが、内心忸怩たるものがあるのではないか。
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コメント

  1. coffee より:

    すなわち、限界に挑戦し、私たちがしていることの価値を理解している人たちを勇気づけることです。

    社会を少しずつ変えるための方策を採ること、アウトドアでの倫理を実践すること、そして私たちの自然の遊び場に直接影響するような保護活動をすること。

    そのために利用して、

    大統領選挙

    この辺りがちょっと違うと思います。