会社に行くと、「Sさんが亡くなった」とMさんが言った。

SさんはもともとMさんの友人だった男で、私はMさんを通じて知り合った。10年くらい前だろうか。みんなまだ若くて元気で、なにができるのかよくわからないけど、なにかができるような気分だけは満ち満ちていた。

Sさんと会うのはたいてい日が暮れてからで、昼間に会った記憶がない。私はそのころ、1年のうち360日は飲んだくれていたから、Sさんとも飲みに行ってはバカな話をして盛り上がった。Sさんはいつもちょっと怒ったような、困ったような不思議な表情で、喩えるなら面倒な仕事を押しつけられた田舎役場の出納係みたいな顔をしながら、キレキレのギャグを繰り出すのが抜群に面白くて、コメディアンにでもなれば絶対に成功するのではないかと思われた。

お互いに独身(私はバツイチだが)であり、また、普通の会社員ではなかったから、社会の本流から外れている者同士という気持ちもあっただろう。

Sさんは、Mさんが社長を務める会社で半ば食客のような形で働いていた。面白いことに気づき、面白いことを話す男だったが、そういう面白さというのは、会社というしくみの中でお金を稼ぐことには、なかなか結びつきにくい。本人にはたぶんいろいろやりたいことはあったのだと思うし、飲み屋でそういう話をすることも多かったのだが、うまく形にならない。それは、本人の資質もあっただろうし、運もあっただろう。

本人から直接そう聞いたことはないが、屈折が幾重にも重なっていたのであろう。飲むと少し荒れることがあり、そこに濃い鬱屈の影が感じられた。

そのうち、どういう経緯か知らぬがMさんと仲違いをして、会社を辞めてしまったと聞いた。その経緯に、私は蚊帳の外ではあったのだが、メールを送っても返事が来なくなり、私自身の生活も変化していたこともあり、音信不通になってしまった。それが7、8年前のことである。

いずれまた会って、昔のようなバカ話ができるときもくるだろうと漠然と思っていたが、それはかなわなくなった。

死の前、時間が経ち齢を重ねたことで、鬱屈の影が少しは晴れていたか、あるいは昏さを増していたか。それが気になるが、もう知る術はない。